修正会(しゅしょうえ)

1月3日 午後1時~ お正月法要と住職から新年のご挨拶があります。

修正会とは

正月に修する法会の意。又略して修正と称す。即ち例年正月の中に天下泰平、玉體安穏の為に祝祷する法会を云う。(望月佛教大辞典より)とあります。修正会についてはかなり古い記録もあるようです。年の初めの月を正月とすることは古代中国によって始まった風習とのことです。年の始まりを祝う宗教儀式として行わてきたのでしょう。善仁寺では新年をもって心持を新たに念仏の道を歩みなおす機縁となる法要となることを願って執り行っております。

春季彼岸会(しゅんきひがんえ)

毎年春分の日と前後3日の期間が春のお彼岸です。春分の日の午後1時には彼岸中日法要総永代経が執り行われます。法要後は住職の法話があります。

彼岸とは

彼岸について述べるとき、教えとしての「彼岸」と日本における儀式や墓参としての「彼岸」と、2つの面をもっていることは周知の通りです。
まず、教えとして「彼岸」とは梵語(古代インドの言葉)を元に「かなたの岸、目指す理想の境地、輪廻の涅槃の境地」などを指すといわれています。
また、修行の徳目の完成を表すことを「波羅蜜(はらみつ)」といい、これを「到彼岸(とうひがん)」と漢訳したりします。
そしてもうひとつが彼岸会(ひがんえ)といわれる春と秋の7日間の間に修される法会(ほうえ)を指していわれます。上記のように経典や注釈書に意味づけはできるのですが、彼岸会自体は日本特有の行事であるとみるのが一般的です。

盂蘭盆会(うらぼんえ)

毎年7月13日~16日がお盆期間となります。15日の午後1時より新盆法要お盆法要が勤まります。法要後、住職法話です。

盂蘭盆とは

盂蘭盆とは梵語ウランバーナで『玄応音義』に盂蘭盆とは烏藍婆拏(うらんばな)の訛った言葉で、訳して倒懸(とうけん)とある。(仏教葬儀大辞典より)日本でおなじみの年中行事である「お盆」も元を辿れば、その始まりはインドであります。もとは、雨季の安居(一カ所にとどまり雨季の間、修行する)の最終日(満月の15日)、僧侶は他の僧侶に罪を指摘されることで、懺悔(さんげ)し、自恣(じし)の日に亡き方々へ追善を願って僧侶たちに盆器に盛った食事を供えました。その自恣を梵語でプラヴァラーナといい、これが後に変化してウランバーナになったといわれる。日本へ仏教が伝来する過程で、中国仏教の影響は大きく、『盂蘭盆経』(偽経といわれる)の母を地獄から助け出す物語も広まり、先祖供養の一代節季として定着しました。

秋季彼岸会(しゅうきひがんえ)

毎年秋分の日と前後3日の期間が春のお彼岸です。秋分の日の午後1時には彼岸中日法要総永代経が執り行われます。法要後は住職の法話があります。

彼岸と浄土仏教

浄土系仏教の祖といわれる善導大師(ぜんどうだいし)は、主著『観経四帖疏』(観経疏)の中に、「二河白道」という比喩を提示されています。浄土を目指す一人の行人が火が燃え上がる河と水が激しく渦巻く河の中間にある細く白い道を渡ろうか、渡るまいか迷っているところへ行人の後ろから群賊悪獣が追ってきます。そのとき、こちらの岸(東の岸・此岸)から「仁者(きみ)ただ決定(けつじょう)してこの道を行け。必ず度すべし。」という励ましの声が聞こえます。そして向こう岸(西の岸・彼岸)から「汝一心に正念(しょうねん)にして直ちに来(きた)れ、我よく汝を護らん。」という声が呼びかけます。そして行人は白い道を彼岸に向けて歩みだす決心をする。という内容です。こちら側から呼びかけるのは釈尊(お釈迦様)、向こうから呼びかけるのは阿弥陀仏という二尊(にそん)の教えを表しています。
この譬えを法然上人(浄土宗の祖)は主著『選択集』で大きく取り上げ、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人も主著『教行信証』でも大きく取り上げて、大きくその思想を展開していきました。

報恩講(ほうおんこう)

毎年11月の上旬(毎年日程が変更しますので、今年の日程はホームページ上にてご案内いたします。)。ご講師をお招きしての報恩講法話、組内の住職方による報恩講法要が勤まります。法要後はご講師を囲んでお斉席(お食事)もあります。

親鸞聖人像

報恩講とは

浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日(11月28日)の法要です。本山(京都・東本願寺)では11月21日~28日にかけて行われる最大の年中行事です。末寺はご本山とは日にちをずらして、ご引上(いんじょう)、お引上げという繰り上げて執り行うことが多いです。宗祖の忌日に宗門で仏事行事を行うことは、延暦寺で最澄天台大師の忌日に行う霜月会があります。また法然上人の忌日に執り行われるのが知恩講などがあります。浄土真宗(本願寺系)では親鸞聖人没後、本願寺第三世の覚如上人が『報恩講式』を著し、儀式として整えられ、後に末寺道場にも普及したといわれます。「真宗寺院の1年は報恩講に始まり、報恩講に終わる」といわれるほど、真宗各寺院にとっては最も重要な行事と位置づけられています。

除夜の鐘(じょやのかね)

毎年12月31日午後11時半より善仁寺の梵鐘で除夜の鐘つきを行います。毎年数百人の方がお見えになり、1年でもっとも賑わう行事となっています。甘酒やおだんごがふるまわれています。(※コロナ感染症感染拡大防止の為、飲食の提供は現在行っておりません。)

2018年の除夜の鐘に並ぶ行列

除夜の鐘とは

「除夜」とは「旧年を除く」ところから名づけられ、「除夕」ともいう。除夜の鐘は、凡夫のもつ百八煩悩を除去し清浄な新春を迎えるため、その数だけ打ち鳴らすとされる。起源は明らかでない。(岩波仏教辞典より)真宗の教えに照らせば、梵鐘を鳴らして煩悩を除去して清浄にどうしてなれようか、となるでしょう。では除夜の鐘は風物詩としての意味しかないのでしょうか。煩悩とは色も形もなく、私そのものになっています。ですから仏教では「認識」、いいかえればどのようにして煩悩に気づくかということが大きなテーマとなってきました。そう考えると梵鐘を鳴らすという「行為」が自己の煩悩の「認識」へと繋がれば、大きな意味があるともいえるかもしれないですね。